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PROFILE

江戸切子マスターKIRIKO
江戸切子マスターKIRIKO

創業70年になる江戸切子工房を生業とする家族に生まれる。一時、家業から離れ社会科教師として仕事をしていたがふと家業は「自分しかできない仕事だ」と奮起しあっさり転職・・・のようなことを何回か続け「これで最後の出戻りだよ」といわれてからは10年、江戸切子道を追求しビジネスを展開。コラボ、スクール、酒倶楽部、酒蔵大学プロジェクトなど多数。

2016年春からはKIRIKOの「東京オリンピック前に知っておくとお得な江戸切子セミナー」も開催。こちらは随時ご案内しています。

マスターの使命は「江戸切子という技を用いて人々を幸せにすること」です。

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Edokiriko Master KIRIKO / 江戸切子マスターKIRIKO

そもそも江戸切子~なぜ発祥の地日本橋から江戸切子は忘れられたか?~

もう桜の咲く季節ですね。

 

最後の更新が

べったら市ということで

秋から冬を超えて春になっていました。

 

かなり久々の更新ですが

 

「そもそも江戸切子」

再開させていただきます。

 

さて

この日本橋に来てびっくりしたのが

 

「江戸切子の発祥の地は日本橋なんですよ」というと

ご近所の方も

お客様も

「えええ!」

と驚いてくださいます。

 

「どちらだと思ってたんですか?」というと

 

「浅草」

「錦糸町」

「亀戸」

と答えられます。

 

そもそも江戸切子とは

江戸時代に

江戸で制作された

ガラス工芸

ということで、

 

江戸でつくったガラスという意味でした。

確かに

浅草 錦糸町 亀戸・・・江戸は江戸なので間違いではないのですが

 

発祥は

加賀屋九兵衛が日本橋で最初にガラス工芸を行っていたらしいということで

「日本橋」になります。

 

では、なぜ、日本橋という内容が消えてしまったのか?というと

 

加賀屋九兵衛はガラスを制作していたけれども、

代を重ねての工芸ではなかったということであったり(代々ではなかったようです)

 

幕末を迎え、明治になって時代の変化もあり、

後に明治政府がお雇い外国人を呼んで

品川にガラスの工場を建て、

現在のグラインダーでガラスをカットする技術を

 

職人技ではなく工場化

 

したことが、現在の技につながっていった

 

ことなど、

日本橋に代々のガラスの職人さんがいない

ということが発祥の地から忘れられてしまった理由です。

 

その後に、

戦後になってから

亀戸に同業者が集まり、

 

戦後は

亀戸が江戸切子の地場産業の地となりました。

 

弊社も

本店 亀戸

2号店 日本橋

ということで

 

江戸切子の聖地(?)に店舗を・・・ということで、

聖地制覇しました(笑)

 

発祥の地らしい江戸切子の発信を今後も展開していきます!

新作玉市松デザイン酒グラス 伝統と新しさの融合。